このブログはコラムに身辺雑記を加えたものです。政治・経済の問題については 別ブログで書いてます。(場所は秘密)

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Author:たかず

なかのひと

征夷大将軍の職務

大河ドラマ「篤姫第39話「薩摩燃ゆ」
宮崎あおい 瑛太 松田翔太 稲森いずみ 堀北真希 山口祐一郎 玉木宏
平岳大 原田泰造 中嶋朋子 中村メイコ 若村麻由美 北大路欣也 ともさかりえ

将軍家茂(松田翔太)が無事上洛を果たしたという知らせが大奥に届き、天璋院
(宮崎あおい)は大いに喜ぶ。しかし和宮(堀北真希)は家茂の身を案じ、ます
ます不安を募らせる。その予感は的中した。京では長州藩を中心とした過激な
攘夷派が朝廷を席巻しており、家茂は窮地に立たされていたのだ。ついに幕府は
朝廷に対し、攘夷の決行を約束してしまう。家茂の上洛を後押ししたことを後悔
する天璋院は和宮に、兄である孝明天皇(東儀秀樹)に頼んで、家茂が江戸に帰還
できるようはからってほしいと願い出る。しかし和宮はかたくなにそれを拒否する。
天璋院は病に伏す家茂のもとに勝(北大路欣也)を派遣する。勝と面会した家茂は
その開明的な考えに触れ、少し明るさを取り戻す。そんな中、ついに長州藩が攘夷
を決行する。その知らせを聞いた薩摩では、島津久光(山口祐一郎)が帯刀(瑛太)
に、もはや戦は避けられないと告げる。ようやく家茂の帰還が許される。その裏に
和宮の朝廷に対する働きかけがあったことを知った天璋院は和宮に礼を言う。
そんな折、イギリス艦隊が薩摩に向かったという知らせが大奥に届く。
薩英戦争の火ぶたが今まさに切られようとしていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やっと追いついた。といっても一週遅れだけど。ここしばらく2週遅れだったんで。

今回は将軍上洛→攘夷決行、生麦事件と盛りだくさん
こちらも2回に分けて書きましょう

上洛した家茂は慶喜に
「攘夷が困難であることを帝にハッキリ申し上げるつもりじゃ」というが
慶喜は「恐れながらそれはもはや無理かと。公方様がこの先攘夷を行うことすでに
先日朝廷と約定をかわしております。公方様が攘夷はせぬと仰せになれば それ
こそ攘夷派の思うツボ。徳川家に政は任せておけぬと幕府から政権を奪い無謀なる
攘夷に突き進みましょう。ここはひとまず攘夷決行朝廷のご信用を得てから
次の手を考えるのが上策と存じます」
「わしに嘘をつけと申すか…」
「嘘ではござりませぬ!約束はしたけれど、果たせなかったという事にすればよい
のでは」

3月7日 家茂は御所に参内し、帝に拝謁。将軍としてはおよそ230年ぶりのこと。
帝に攘夷実行は不可能だと訴えようとしたが関白・鷹司輔熈を初めとする公家達に
「夷狄を討つのが征夷大将軍の務め」などと言われ、結局、何も言えなかった、
おまけに江戸への帰れることも許されず、過労のため病に伏せってしまう。

それにしても将軍(松田翔太)と天皇(東儀秀樹)は
棒読み対決か


結局、家茂は5月10日をもって攘夷を決行することを朝廷に約束。
天璋院はそんな家茂のために誰かを側につけようと考えて、思いついたのが
大坂にいる勝麟太郎。勝は坂本龍馬を連れ海軍操練所実現のため奔走。

勝の許に大坂城にいる家茂のお呼びが。
家茂は勝に尋ねる。
「帝の前では もはや徳川家の威光なぞ なきに等しいこの有様、勝はどうみる」
「おそれながら今 上は諸大名から下々に至るまで徳川家ではなく帝が日本国の政の
要だと思うておりまする」
「ならば どうすればよい。朝廷の求めに応じ無理な攘夷をせよと申すか」
「仕方のない事でございましょう」
「異国と戦って勝てると思うか?」
「いえ。コロリと負けます。さりながら、それは日本国中が攘夷なぞ出来ぬと悟る
よい機会となりましょう。国開き、諸外国の優れた技術や知識、制度を取り入れる。
それこそが外国と肩を並べる早道かと」
「なるほど。母上がそちに会うようにと言われた訳が分かった。そちの建白書に
あった神戸の操連所 思うがままにやってみよ」

家茂は大坂城で 攘夷決行日5月10日を迎える。事件は西で起こる。
その日を待ちわびていた長州藩が関門海峡を通過するアメリカ商船ペングローブ号を
砲撃したのである。続いて フランス軍艦キンシャン号、オランダ船メドューサ号にも
(いわゆる「長州藩外国船砲撃事件」・・・て そのままやけどね)

このドラマ長州藩の関係はあっさり流される

1864年7月 イギリスは英国仏 蘭 米とともに連合艦隊を編成。長州に対し報復攻撃。
長州藩は屈服(いわゆる 四国艦隊下関砲撃事件・・・て これもそのままやけどね)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて
ドラマで描かれなかった部分についてちょこっと触れておきましょう。
あまりややこしくならない程度に。

先に京都に乗り込んだ将軍後見職・一橋慶喜は何をしていたのか?

幕府が「開国」しているのに、朝廷は「攘夷」をしろと言っている。
松平春嶽が言うように、
そもそも混乱の元凶は「政令」が朝廷と幕府の「二途」から出ているためであり、
それを解決するためには政権を天皇(朝廷)に返上するか、改めて朝廷から将軍(幕府)
に「大政」を委任してもらうかどちらかしかないわけです。
(発想としては統治権は天皇にあるわけで、天皇から将軍に「大政委任」されているから
幕府が政治をできるわけであり、「大政奉還」もできるわけやね)
実は春嶽自身は大政奉還論であり、家茂に将軍職辞職及び政権返上を求める建白書を
提出し、この後、幕府に自身の政事総裁職の辞職を求めた、認められないうちに無断で
帰国してしまう。
(「攘夷実行」なんてできないのに、朝廷に対して方便で約束するなんて、自分は責任
負えないよということで、逃げてしまうわけです)
※「大政奉還」というプラン自体は坂本龍馬のアイデアではない。松平春嶽はこの時点
で考えていたし、幕臣でも大久保一翁なんかがこの考えを皆に披瀝し(おかげで左遷
されたが)、松平春嶽にも書簡を送っている。幕府の決めた開国が朝廷に認められない
ならば、責任を取って将軍が政権を返上すべきだという考え方やね。

では、慶喜はというと
将軍の代理として参内し、孝明天皇に「大政委任」の確認をしようとしていたのである。
そのため関白・鷹司輔煕らと会い交渉を続けていた。
まあ 幕府に天皇が「大政委任」してくれれば、責任を持って幕府が攘夷実行します
って感じでしょうか。
(だから「攘夷は無理です」と天皇に家茂が言えるはずはないんです。
攘夷実行と引き換えに「大政委任」されているわけですから)
ます天皇から「庶政は・・関東へ委任する。攘夷の挙はなお出精すべし」という勅諚
は得ていたけれど、この内容の文章化で紛糾。
関白・鷹司は慶喜の求めに応じ、「大政」ではなく「攘夷御委任」という文字だけの
勅書を渡す。慶喜は猛抗議。関白は「征夷将軍の儀、総てこれまでの通り御委任遊ば
さるべし、攘夷の儀 精々忠節を尽すべき事」という内容に書き改めたものを渡す。

ところが、

いざ、将軍家茂が参内・天皇に謁見した際に、関白・鷹司のご沙汰には
「征夷将軍の儀、これまで通り御委任遊ばされし・・・皇国一致して攘夷の功を奏し、
・・・・」
に続いて
「国事については事柄によりて 直に諸藩へ御沙汰を下すことあるべければ
予め示し置く」とあった。付け加わっていたんやね。

天皇が政治のすべてを委任するのではない。委任をしたのは「征夷」将軍という部門
だけ、それ以外の国事については事柄によっては諸藩に直に沙汰をすることもある

って宣言しているわけです。、

そもそも「征夷大将軍」ってのいうのは「夷」を討つための役職でしょ。
朝廷はの職務を徳川家に委ねているんだから責任をもって「攘夷」を実行して下さいね
ってこと。
ドラマ中で公家が「夷狄を討つのが征夷大将軍の務め」って言っていたのが まさに
この事ですね。このドラマではそれがわからないけど。

おまけに

朝廷から事項によっては「直接諸藩に命令する」

これでは「政令」が朝廷と幕府の「二途」からでている状況を変えていないことに
なってしまう。
慶喜のもくろみは失敗してしまったんやね。

おっと大河ドラマ記事で初めて前後編だわ。
(続く)
2008/10/06 00:59|大河ドラマ

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